大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜家庭裁判所 昭和43年(少)7529号 決定

少年 R・D(昭二四・三・一二生)

主文

少年を横浜保護観察所の保護観察に付する。

本件送致事実中○本○夫、永○茂、○笠○滋および○馬○夫に対する傷害の点については保護処分に付さない。

理由

一、本件非行に至つた経過の概略

○○○○大学○○校においては、同大学医学部の教授数名が医学研究にあたり、アメリカ陸軍極東研究所より資金援助を受けていたことから、学生側がこれに反対し大学当局にこれが中止を申入れたことから端を発していわゆる大学紛争が起り、学生側は昭和四三年七月○日開かれた同大学○○自治会主催の○○塾生大会において、二四時間の授業放棄を含んだ学生ストライキを行なうことを決議して、同自治会執行部の手により同校正門に机、椅子などを並べてバリケードを築いて学園封鎖をなし、次いで翌△日開かれた同塾生大会において引き続いて無期限のストライキを行なうことを決議して、以後ほとんど授業がなされない状況に至つた。その後同自治会執行部とは全学連の派閥系統を異にする全学闘争委員会(以後全学闘という)が組織され、同年八月末に両者が抗争した結果同執行部に代つて全学闘が同校封鎖にあたり、更に同校内の一部の校舎をも占拠し、これに立て籠つて闘争を継続した。そして少年も上記全学闘に所属して闘争に参加していた者であつた。

しかし、スト当初よりこれに反対する学生も多く、これらにより組織されたストを回避し話し合いを守る会が中心となつてスト解除、授業再開を主張して自治会執行部およびその後の全学闘と対立してきたが、同守る会のうちからこれにあきたりない一部の者は更に○○挺身隊を組織し、ストが長引き留年のおそれがあることにあせりを感じて実力をもつて一部封鎖排除、全学闘所属の学生(以後全学闘学生という。)に対する暴行がなされるに至つた。

すなわちその一として、同年一〇月○○日午後一時頃○○挺身隊所属の高○裕、○笠○滋、○本○夫、○又○夫、○野○明は他五、六名の○大生と共にバリケード内の様子を見に行つたところ、同所に全学闘学生の○○木○一に行き会つたので、同人とバリケードをいつ解くのか、早く解け、解かぬの押し問答をした後、同人を取り囲んで同校バレーコート内へ連行してうち数人が同人を殴打したことがあつた。これら暴行をした者らのうち上記○野の氏名が全学闘学生らに知れるところとなり、同月△△日午後四時ごろ全学闘委員長○中○二に引きいられた少年を含めた全学闘学生約二〇人は、同校五〇番教室に○野を発見し、同人を取り囲んで同校○○局事務室棟内用務員控室に連行した。

二、非行事実

そこで少年は、○中○二他数名と上記日時場所において、○野に同人の全学闘学生に対するこれまでの行動を反省させるいわゆる自己批判を要求し、これに素直に応じなければ暴行を加えることの意思の連絡のもとに、○中において「××日夜バリケードを壊したのはお前らか、事務室のガラスを破つたのはお前らか、どうなんだ返事しろ」と言いながら同人の右足を皮靴履きのまま数回足蹴りし、更に「○○木をやつた奴らの名前を言え」と迫り、少年において「ふざけるんじやない」と言いながら手に持つていた長さ一メートル五〇センチメートル位、太さ五センチメートル位正方の角材先端で同人の左頬を一回突き、よつて同人に対し右脛骨部挫傷、左口腔粘膜裂創により全治約一週間を要する傷害を与えたものである。

三、法律の適用

上記傷害の事実につき、刑法二〇四条、六〇条。

四、事件送致事実のうち一部不処分とした理由

本件送致事実中「少年は昭和四三年一〇月□□日午前二時頃から同三時頃までの間に、○○木○一他数名と共謀して、○本○夫に対し同校○○局事務室棟内工務課室において、永○茂に対し同棟正面玄関内ホール、女子更衣室および理事室において、○笠○滋に対し同棟理事室において、○馬○夫に対し同棟正面玄関ホールにおいてかわるがわる「左翼を攻撃する者は全部右翼だ。お前達のような右翼は何人居るんだ。バリケードを壊したのはお前らか。」と怒鳴りつけながら、角材、鉄パイプ、手拳などで殴打し、土足で蹴るなどの暴行を加え、よつて○本○夫に対し全治三週間を要する頭部挫傷等の傷害を、永○茂に対し治療九日間を要する頭部外傷等の傷害を、○笠○滋に対し全治約一ヶ月を要する頭部挫傷等の傷害を、○馬○夫に対し加療二週間を要する左前頭部打撲等の傷害を各与えたものである。」との点については、審判の結果上記非行事実後次の事実を認めることができるが、後記理由のとおり送致事実の非行が証明されえないものである。

すなわち上記非行事実における○野○明はその後まもなく少年らが求める自己批判を受け入れて上記○○木○一に暴行した者の氏名一一名を陳述した。一方このようにして○野が全学闘学生らに連行されたことが一般に知れ、これを聞いた○○挺身隊長高○裕は自ら中心となり、○野の釈放を要求するため隊員とストを回避し話し合いを守る会々員およびその賛同者に呼びかけてこれらの学生約三〇名を集め、同月□□日午前零時ごろこれら学生を率いて同校に参集し、先ず高○が代表して単独で全学闘委員長○中○二に面会を求めてバリケード側の警備室に入つた。ところが前記のとおり○野の陳述により既に高○が○○木に対し暴行した者らの指導者であることを知つていた○中を初め他の全学闘学生らは高○をも前記事務室棟内に連れ込んでいわゆる自己批判を要求し、同時に角棒および鉄パイプを使用して同人の頭部、背部を殴打し、同人を一時気絶をさせ、よつて同人に頭部外傷、背部及び左眼瞼部打撲傷により全治一〇日間の傷害を与えた。しかし少年はこの暴行の間その場に居合わせなかつたが、まもなくこれを聞き、自らも高○に自己批判を求めたりした。ついで高○の帰りを待つていた残りの参集者約二〇名、高○が捕えられたことを聞き同日午前二時頃○野および高○の釈放を要求して同校正門前バリケードに至つた。そして前記要求を警備室に居た全学闘学生に伝えているとき、事務室棟に居た少年を含めた全学闘学生ら約一五名位は、○野および高○を実力で奪還に来たものと思い込み、ついては参集者の中に○野が陳述した者らが混つていることが予想されるのでこれらを捕えるため、隊列を整えて押し出した。少年もこの隊列に参加した。そしてバリケード外で参集者を取り囲み、この中から○本○夫、○笠○滋、○馬○夫を発見して同人らを前記事務室棟内に連れ込み、後記のとおり少年により連行された永○茂をも含めて松本ら四名を同棟内の各室へ分散して自己批判を要求し、その際手拳、角棒などで殴打する暴行を加え、その結果○本らに送致事実記載の各傷害を与えた。

この時少年は参集者の中に永○茂が混つているのを発見し、同人は○野○明が陳述した○○挺身隊員の氏名には含まれていないし、全学闘のストを妨害する行為を行なつてはいないが、とかくスト反対派に同調し、いわばお先棒かつぎに批判がましいのを知つていたので、この機会に懲らしめる必要があると思い、○本らと共に事務室棟内へ連行し、同人に口頭により自己批判を要求したが、暴力的行為に出ることなく他に連行された○本らとも顔を会わせることもなく、まもなくこの場を立ち去つた。

以上の事実を大略認めることができるが、少年については上記事実から○本らを殴打した全学闘学生らとの間に暴行の共謀の事実も、少年が○本らに(永○茂を含めて)暴行した事実も認めることはできない。少年は全学闘学生らと隊列を組んで氏名の判明した○○挺身隊員らを捕えるため押し出し、自ら永○茂を連行したが、これは同人らの過去の行為を糾弾するためのいわば準備行為であつて、後になされた暴行を直接意図した行為とは認められないし、この間に暴行の意思の連絡を認める証拠もない。また、○本らを連行した事務室棟内は自己批判を要求する全学闘学生間に暴力を振るうことも辞さない険悪な空気に包まれ、そして時を置かず上記暴行がなされたのであるが、少年については上記認定事実のとおり、○本らとは離れて終始永○茂に対峙して同人に自己批判を求めたのであつて、全学闘学生らとの間に上記暴行についての意思の連絡を認める証拠はなく、自らは暴行をなさず立ち去つているのである。

もつとも永○茂は上記事務室棟内で何人かに殴打されたため治療九日間を要する頭部外傷の傷害を負つた事実は認められるが、少年の永○に対する認識は上記のとおりであつて、他に連行された○本らとはその事情を異にし、少年にとり永○を殴打しなければならない理由がないのであるから、永○はこの事情を知らない他の全学闘学生により殴打されたのであつて、少年によりこれがなされたとは認められない。

以上により少年の○本らに対する暴行は証明がないことになるから少年法二三条二項により保護処分に付することができないものとして、上記主文のとおりの言渡をする。

(要保護性)

一、少年に対する本件審判の模様は審判調書の記載から窺われるとおりであつて、その論点は多岐に亘つているが、要は非行事実の確定とその意義ないしは法律的評価に向けられ、もつて要保護性の有無を判断するにあつた。そして非行事実については他の証拠と相俟つて上記認定を導いたのであり、その意義については次のとおり考えたのであつた。

二、すなわち本件の特色は大学紛争において、学生ストライキを決行する学生集団(以後スト派という。)とこれに反対する学生集団(以後スト反対派という。)との抗争の過程から生じたところにあり、従つて学生ストに積極的に参加して実行している少年の思想ないしは思考が本件審判においても投影してあらゆる角度から問題になりえようが、当裁判所の審判についての基本的立場は言うまでもなく少年のこの思想を審判の対象とするのではなく、少年の具体的な行為をその対象とするものであり、その行為の意義を明らかにし、要保護性を判断する限度で少年の思想に立ち入ることが許されるのであると考えたのであり、この考えのもとに少年と審問を重ねたものであつた。

そこで上記少年の非行事実をその前後の経過と照らし合わせてみると、スト派とスト反対派は互いに主張を異にして容易に学生ストの帰結をみなかつたことからスト反対派においてスト派に対しとかくの妨害ないしは暴力行為があり、これに対しスト派において妨害者を自らの手で摘発し、暴力に及び、少年もこれに参加したというのであつて、スト派とスト反対派との間には互いに自己の主張を貫くため暴力手段に訴えるという緊張関係において一種の無法状態が現出し、少年の非行事実もその一過程においてなされたと認めることができる。

更に考えを進めてみると、もともと学生ストにおいてバリケードを築き教室を占拠して立て籠り、ストが解決するまで学園を封鎖するいわゆるバリケード封鎖ないしは大学占拠は、学生集団による物理的実力の行使にその本質を認めることができる。すなわち、大学紛争の本質、原因、形態、規模、帰趨については一般に論議されているところであるが、現実に学園の内外で学生集団によりなされるバリケード封鎖は学生集団の物理的実力をその本質とするものであることは容易に看取できるところである。そして封鎖は紛争解決の法律手段として正当な法律上の機関によりなされたものでなく、いわば非常手段として学生の手によりなされたものであつて、法律がこれを許容するとも、しないとも決めない中間の領域に存するものであるから、その行使者に遵法の精神がない限り、或いはこれが麻痺するときにはそれが紛争解決の手段としての本来の目的をはずれて、暴力に転化するのは容易であり、いわば実力行使と暴力行使とは紙一重の差にあるということができよう。しかも封鎖学生の置かれている立場は、大学当局、反対派学生、一般学生、社会一般人、警備当局との関係において、政治的にも社会的にも極めて微妙なものであつて、封鎖を続行する過程においては自己の側に実力を保持していることの意識から、批判者に対し、或いは第三者とトラブルが起つたときにはとかくこれを法による解決に委ねようとするよりは、この実力を行使することにより、批判者を抑圧し、トラブルを自己の欲する方向に導いて解決しようとする短絡的な思考が生じ、これを実行に移すに至る行動傾向がスト学生集団内に支配することも容易に推測しうるところである。これは人間のもつ本来的な性行であろう。バリケード封鎖にはこのような思考と行動傾向が常に随伴しているものであり、紛争の解決が困難で、集団内部或いは集団相互間に主張の対立が深まれば深まる程この傾向が強く現われるものと推定できる。

このような思考と行動傾向は法の支配、民主主義の原理を否定するに至るものである。本件においてもこの傾向のもとになされたと認めうるところがあるので、審判において少年にこれを問うたのであつた。

三、少年のこれに対する答えは審判調書から窺えるとおりであつて、懸念したとおり○野○明および永○茂らに対する行動が単なる実力行使の範囲を越えて暴力行使と判断される(永○茂に対してはバリケード内へ強制的に連行し、自己批判を求めたことを指す)のにこれは全学闘の組織と運動を守るための当然の行動であり、この場合法の支配、民主主義の原理というのは資本主義社会におけるそれであつて革命を目的とする少年ら全学闘学生の思考と運動からは否定し去ると言うのである。そこで更に審問していつた結果まもなく少年は自己の○野および永○に対する行為が個人らの意思を無視し、人権を侵害する暴力であることを素直に認めるに至つたが現行法に対する考え方については自説を譲らなかつた。

四、ところで少年が上記のような思考に至つた生活史を見ると、高校を卒業後一年間予備校へ通学していわゆる浪人生活を送つたが、このころ大学受験のみのための勉強に疑問を持ち、政治的、社会的な問題に関心が高まつたようである。そして大学入学前に学生運動に入り全学連中核派に所属して活発な活動をし、昭和四三年三月○○日王子野戦病院へのデモ、同年四月○○日通産省デモに参加して両度逮捕された(事件はその都度不処分および不開始決定がなされた)。しかして本件審判に至るまでの少年の勉学は経済学に興味を懐いてこれを中心に広範に及んでいるようであるが交友関係はその所属する中核派学生が主であり、この交友関係の中で思考と運動についての討論が行なわれていると認められる。そしてこのような勉学と運動とによつて本件についての上記の思考に至つているものと概略理解することができる。

五、そこで最後に少年に対する処遇について考えてみると、少年の基本的な思考は上記のとおりであつてまだ当分の間はこれが変化するとは認められないこと、特に少年は本件非行について反省しているものの、反面これは運動の過程で止むを得ないと考えていること、○○○○大学における学生ストライキはすでに終止したが少年は将来も学生運動に参加していくと認められること、少年は親元を離れて一人で下宿生活をしているが、時折帰省しても両親とは世代と職業観(父は警察官)の隔絶から種々の問題について話し合うこともなく過ぎていること、他に保護能力をもつ者は周囲に居ないことを考え合わせると要保護性を認めることができる。そして少年の現在の思考は勉学の一過程におけるものであつて、学習能力とその意欲があることが認められるから、将来勉学が進み同時に社会に対する見方が備わつてくれば自然その思考が進歩するものと予測できるが、反面この場合にも少年には学生運動に多くの時間をさかれ、討論する交友関係がその所属する学生に限定されていると健全な常識が養われず片跛な思考に陥る危険もある。その上審問の結果感得された少年の性格はやや自己中心的で協調性に乏しい点があるが、現在少年に何よりも欠けているのは、社会には世代、社会的身分、職業により、思想の相違により、種々の矛盾、対立する意見と行動が生ずるがいずれも人間は社会的存在として人権が尊重されなければならず、社会共同生活を成立させる法が存在することの認識であると考える。これらの危険を避け欠点を補うためには、少年とは世代を異にし、職業に就いている社会における有識者と常に接触を保ち、少年の思考、行動上に今後起るであろう種々の問題について互いに意見を交換し合うことが必要であると考える。この趣旨において少年を保護観察に付したときこの任に当る者との間に親密な人間関係が創設されたならば、上記欠点を補うことができ、少年の将来の幅広い勉学の一助とすることができるのであろうし、これは現行制度においても成しうるものと考える。

六、よつて少年法二四条一項一号、少年審判規則三七条一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 郡司宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例